京都南、伏見に寺田屋がある。

 25年ほど前、その日は彼らのように京を歩き廻り、彼と中岡慎太郎の墓を後にし、今晩の宿、一路伏見寺田屋へ。
 寺田屋では食事がない。そこで伏見駅からの道すがら、寿司屋へと入る。カウンターには2人の先客。その一人から「地方から?」などと聞かれ、驚く。京都も地方ではないかと思ったからだ。それを察したのか、たて続けに「どこから参られた?」と。「あっ!拙者、福島から・・」と言うと、「大阪?」などと。大阪人にしてはなまりがない・・と思ったのだろうか。「いえ。福島県です」と。すると・・「どの地方?」と。心の中で失礼な・・と思いながら「東北で、会津の近くで・・」福島市はその昔、会津藩に属した事もある。すると・・「会津かー、それはそれは、会津、良いな~、一杯どう?」などと言う。「今時の会津はどうかな~」などとも言い、その後すっかり注つ注がれつ。伏見の方は幕末に京を守った会津に愛着があるようだ。僕はそこではすっかり「会津の人」になってしまった。

 しかし寺田屋に行かねばならず、そう盛り上がってばかりいられない。寿司屋を後に寺田屋へ。
そこではまず女将に丁重に挨拶、その後あの事件の刀傷のある部屋に通される。寺田屋事件でお竜さんが裸で風呂から駆け上がった階段を通り、その風呂跡を横目に見た先の風呂に入浴。上ってくると女将が「あの会津の人いないか?と酔っ払いから電話が来てる」と困っている。電話に出ると、やはり先ほどの寿司屋の人。「これから飲みに出て来ないか」とお誘いがある。女将が目の前で手を振りながら「やめた方が良いよ」と言うので、丁重にお断りする。女将に「かたじけない」などと言い、竜馬の部屋に戻る。

 寝れない~。理由その一、心はもはや幕末武士になっている。その二、窓が障子戸一枚で外がうるさい。
 そこで数句檄文俳句を読むことになり、それを身内へ葉書で送ることにした。
寺田屋はそんな気分にするのである。

 その後も京を駆け廻り3・4日して福島に戻る。すると書いた寺田屋の葉書が封書で届けられていた。葉書の句は赤ペンで添削され、「この方が良いのでは・・・」との一文が。幕末武士の心は一挙に吹っ飛ぶ事に相成り候。
「油断ならずや我身内」と思った事を思い出す。

 写真は変わらずガウディーです。
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