ふと、私たちは「窓の無い家」の中に居るのではないかと思う時がある。

「家」の中は、多少の不満はあるとしても、
あまり不自由も感じる事もなく、
とても快適。

テレビやパソコンからは、色々な情報が自由に手に入る。

しかし、家には「窓」がないので、
「家」の中に居ては、本当の外の状態は「分からない」。

テレビやパソコンから入手する情報には、
少々憂うべき内容のものもあるが、
「家」の中は、それなりに快適。

「家」の外では、人が溢れかえっている。
その日の食べ物に事欠く状態で、
飢えに苦しむたくさんの人々が居る。

食べ物はおろか、水さえろくに飲めない人も多い。

水や食べ物で、「争い」が起きている。
その「争い」は次第に増え、深刻化している。

知人から聞いた話。
 『池の中に1本のハスがあった。
  暫くして、それが2本になった。
  次には倍の4本に。
  そうこうしている内に、池の半分がハスで埋まった。
  それを見て、「まだ半分か」と思う。
  次の瞬間、池はハスで全て埋め尽くされた。』

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「窓の無い家」から出て、
実際にこの目で、外を見てみよう。
池のハスが半分まで増えない内に。

私たちが入手出来る情報は、実はとても偏っている。
そして、私たちが住んでいる「家」には、
「偽り」が常に溢れている。