先回、「金物と木組み①」で、『木を組む形の接合と金物を使った接合の
強度的な比較をすると、「強さ」は金物を使った方に軍配があがります』と書きました。

であるならば、金物を積極的に使えば良いのではないかという事になりますが、
考えるべき部分としては、一つは「相性」という事柄があります。
色々な方が言っておられますが、「木」と「金属」の相性は決して良いとは言えないのです。
「木」と相性が良いのは、「木」であり「石」だと言われています。
木組みにこだわる時、その「相性」という事を考えて、金物は最小限にしようと考えます。

もう一つ、「強さ」だけを考えた時、「金物」を選択する考え方はとても簡単です。
「金物」の選択を優先すると、接合部の複雑な加工は必要なくなり、
極端な話、ぶつ切りの木材を接合金物でつなげていけば、丈夫な構造体ができてしまいます。
将に「合理化」です。
そこには、日本という国がその歴史の流れの中で受け継いできた「木構造」の
伝統技術、智恵の継承という「文化的な視点」はありません。

そうなれば、「大工職人」は姿を消していくでしょう。
伝統技術、智恵を持たない「組み立て工」ばかりとなり、
「木」を知っている職人はいなくなり、
日本の「木の文化」は衰退の一途をたどって行きます。

「木組みの家」は、強さを追求するのではなく、
大工職人が、使う木の一本一本の性質を「木」に聞きながら、
使い方、組み方を考え、確りした構造の知識を持った人間が、
「木」の耐えうる力を考え、各部分でそれなりの耐力を分担するよう、
構造的な計画をしていくことも大切な要素なのです。
現代の「「木組みの家」には、職人の「伝統的技術」や「勘」「智恵」も必要ですし、
構造的な検討という力学的な「知識」もとても重要です。

木の変化を知り尽くし、その変化も「緩み」にしないで、
「結合の強化」という方向に変えてしまうような
木と木の組み方の技術、智恵を守る意味でも、
そしてもっと大きくは、日本の「文化」を守る意味でも、
一棟の「木組みの家」をつくる事は、とてもとても意義のある行為なのです。