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25からは、ある方を思い出し、涙が止まらなくなった。
この小説の主人公は、明らかに分かる
日本屈指の著名な建築家。
この小説は、その事務所がそうであっただろうことが、
関係者より、事細かくヒヤリングされていたとしか思えない。

その建築家は、実際にも脳梗塞で倒れられて、
その時に、何名かの勤続十年以上の所員が辞められた。

そのお一人が、私と前後して一色事務所に入所され、
その方からお聞きした事務所の様子との符合することが多々。
私はその方の元で、山形県の住宅を、
一年以上、机を並べて設計のアシスタントをさせていただいた。

もちろん、2年目の私にそんなゆとりある
仕事だけであるはずもなく、
模型製作やら、パースやら、報告書作りやら、
その中で、一つの住宅のサポート役が与えられた。

当初はその多くは、日曜日にあてていたが、
そんな休日だからこそ、色々なお話しを聞くことができ、
今考えても、恵まれていたと思うほど、貴重な経験。

まずは、図面の描き方からして違った。
2Hや4Hの鉛筆をナイフで削り出し、
トレーシングペーパーが、削れるくらいにしっかり描く。
その図面を描いては消し、描いては消す。
事務所自体は、美濃紙の和紙を原図として使っていたので、
トレーシングペーパーに描くことがなかった。

トレペは、鉛筆ののりが悪いし、
ともすれば、描いた線が掠れて消えていく。
その点、美濃紙は鉛筆との相性が良いし、
図面も、美しく見える。
ただ、青焼きの機械で、クシャクシャになることもあるが...

しかし、トレペに2Hで何度も描き直していくうちに、
その図面は、美濃紙のように柔らかくなる。

スケールは三角スケールという1/100~1/600の
それぞれの目盛が一つになったものではなく、
30cmの竹の物差しを目盛のところで割ったもの1本。
これで、すべてスケールを読み解いていく。

何もかもが、これまでの経験にないことだらけだった。

大江邸1.jpg
その住宅の照明器具をデザインすることになり、
入所して2年目の私に、考えて見ろと言われた。
玄関ポーチ、階段ホール、広間、浴室・・・。
すべてを同じデザインベースで考え、
場所に応じた素材や質感を変えて、
何度お検討を重ねて、その方に見せた。

デザインのことばかり気にして私に、
この電球は、どうやって変える?
この素材は、電球とのこの距離で焼けない?
ここのところは、どうやって作って、
どこで切り離せるのかな?

まさに、何となくこんな感じ、
それは、まぁあとで・・・という感覚を
容赦なく突っつかれたような記憶が残る。

色々な試行錯誤で、結局すべての照明器具を
私のデザインで、完成させてくれた。

一色事務所のボス・納賀雄嗣氏は、私の恩師であり、
私に建築をたたき込んでくれた紛れもない師。
建築周辺にも目を向けて、
プロデューサー的な役割を担うこと、
そして、木材への人一倍のこだわりやその扱い、
それらは、今も私の原点。

その中に、もう一つの視点を植え込んでくれたのが、
この方である。
このおふたりの中には、
無垢と練り付け、現造と留め、
木材との向き合い方も、異なる視点があり、
その双方が、私の中に染み込んできた。

60歳の若さで亡くなられてから、もう10年になるか。
小説の建築家と、その事務所には
まったく縁はありませんが、
その方を通して、学んだことが、
走馬燈のように蘇り、涙が止まらなかった。
自分は、確かにそうした世界の一端にいて、
今また、その気持ちを思い起こさずにはいらない。

久しぶりに、その建築家の写真集を引っ張り出して、
見覚えのあるその方の文字と図面、
さらに、所内風景に写っている姿を眺めた。

来年も、また恩師を訪ねてみよう。
建築の道は、どこまでも果てしない。
吉村写真集.jpg

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