嘗て、大阪国際空港に直結する高速道路沿いは、広告塔
の銀座通りとして、一流企業にとって人気の高い路線の一
つで、この建物も時勢の欲求に乗った、看板の賃料だけで
採算の合うローコストのビル造りを求められ、工事内容は
法的にも最低限度の内外装を施し、建築物検査済証の交
付を受けた段階で小生の手を離れます。その後、募集して
いた広告主が決まり、借り手側の(B)工事として工作物の
申請手続を経て広告塔工事が完了します。

10年経ち、空港の国際線が泉州沖に移った為、看板の収
入は途絶えましたが、テナントビルの賃料収入に切り替え
るべく、エレベータ設備の増築を始め内装等の充実を計り
難局を乗り越えられました。

それから15年後、自社ビルを探していた会社に売却され
たオーナーは、現在も「悠悠閑閑」の老後生活を過ごされているようです。


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