まだ家に大黒柱が存在して、家長と言う何者も抗えない人物の存在が有り、家は二世代・三世代で暮らすことが当たり前だった頃、人は文字通り「和の家」に住んでいました。部屋の仕切りは障子一枚、襖一枚で隔てられ、子供たちは隣の部屋から聞こえてくる大人たちの声を聞きながら眠ったものです。

たった一枚の建具が、大人と子供、親世代と子世代、団欒の場と食事の場、家族の部屋と客間と言う具合に、絶対的なフィールドを作り出していました。人の気配を感じながら、時に安心して、時に気を使い、時に礼を尽くす。家に住むと言う事は、それだけで他者に対する思い遣りや配慮を、強制的に身に付けた時代だったのかもしれません。だからこそ建具は、凛とした井出達だったのです。

扉を閉めてしまえば、家の中に誰が居て、誰が居ないのかさえ分からない家。
それは個を大切にすることなのかもしれませんが、個しか大切にしていないとも言えるかもしれません。共に住む人たちは、個の集合体ではなく、家族です。

家族の気配を感じる為に、障子を使うことも有ります。
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書斎と吹き抜けの間に設けられた障子は、父の存在を感じられる。
(神奈川県T邸)


天工舎一級建築士事務所