高僧で宗教学者の祖父が晩年、法話と執筆活動に専念した、京都市の北部紫野にある閑居が放光庵でした。小学生のころ母に連れられて訪れた記憶では、緑に囲まれた瀟洒な佇まいの玄関を開けると、目の前に線香の匂いが漂う板張りの広間が見え、向こう正面と右側とはガラス戸を挟んで手入れが行き届いた庭が広がり、左側奥には分厚い赤色の座布団と鐘が置かれた荘厳で厳粛な仏壇があり、子供心に異様で近寄りがたい空間でした。
跡を継いだ母の兄(後年・京都新聞社顧問)に、脱稿した書物の出版を促していたようですが、著者のみが解ける校正の高いハードルがあり諦めたと、何度も無念を口にしていた母を思い出す。
身延山久遠寺
特に
祖父との生の接点がなく書物等で人物像を描くほかありませんが、士ブログのタイトル名を放校から放光に変えたことをお許しいただきたい。