中学生になり、牛乳と新聞配達で稼いだお金は、血統書付伝書鳩とかエンジン式模型飛行機の購入等々に費やし、工業高校の建築科に進んだ2年間は、監督不在の上級生がコーチするサッカー部に入り、張ったりも利かし1年生からレギュラーポジションを獲得し、懸命に活動していたある時、修練を積み重ねると「上達と自信の花が咲く」との確信が芽生えました。そして2年生の終わりが近づいた頃、病み上がりの親父が大学受験するかとの問いかけに、ウンと即答できた所以は、この薄っぺらい根拠があったからだと思う。
特に
卒後、入門を許された設計事務所のボスはコンペに強い優秀な先生で、その影響を強く受け、プライベートな時間を使い、初めてチャレンジした日本建築士会主催によるアイデアコンペ課題「テラスハウス」でした。提出期限が近づく数日間は勤め先に近い友人の下宿に泊まり込み模型の製作などに没頭し何とか締切日の夜、JR大阪駅の横にある中央郵便局で当日消印を受けることができました。その後計9回の設計コンペを熟せた大きな一因は、小生が高校時代に体験できた「根っこ」のお蔭と心底感謝しています。