2009年 4月の記事一覧

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09年04月26日 20時16分22秒
Posted by: truthroad

いわゆる在来工法で家を建てる場合は、骨組みとなる構造材はプレカットと言い、工場で機械加工されたものが主流となっています。その加工は、数値をコンピューター入力され、加工精度も良く、それこそ〈職人技〉です。
知り合いの大棟梁は、「下手な手加工だったら、プレカットの方が良いよ」と言い切ります。

しかし、プレカットでの加工は、単純な形状の加工が一般的で、どうしても金物の補強が前提となっています。もちろん、一部でかなり複雑な加工も可能な工場も有るとは聞きますが、木を組んでの構造の場合は、自然と「手加工」「手刻み」という形になります。
もちろん、「手加工」「手刻み」とは言っても、現代ですので、かなりの部分で加工機械の使用もあります。ですから、全て「手」という事ではなく、大工職人が自ら加工するものを「手加工」とか「手刻み」と言う訳です。

ある程度の年齢の大工さんであれば、複雑な加工の技術も知識もある程度お持ちですのようです。しかし、前述のようにプレカット加工が一般化するようになり、一軒の家を「手刻み」する機会が激減し、それにより、これまで自然に継承されて来ました「刻み」の職人技が、なかなかスムーズに伝承されない状況があります。

そんな意味でも、「手刻み」が当たり前の木組みの家をつくることは、日本の伝統技術伝承という部分でも、大きな意味を持つのです。
一般的には、大工さんはその技術を学校で教わる訳ではありません。「仕事」を通して、その技術を自然と継承して行く形ですから、どんな仕事があるのかで、関わる職人の技術は変容して行くのです。
それは目にはなかなか見えない変化ですが、気が付くと、ある時、その変化がはっきりと見えてくるのです。

だから、木組みの家は止められないのです!
09年04月19日 19時06分34秒
Posted by: truthroad

その昔、計画を進めていた家を、いわゆる伝統構法という木を組んだ構造でつくりたいと考えました。
しかし、そのような話を当時の知り合いの大工さんにしたら、「そんな古臭いことは今はやっていないよ」と簡単に言われてしまい、その時は「そうなのか・・・」と納得するしかありませんでした。

それでも、そんな「夢」をずっと持ち抱えていたら、木組みの家は決して「古臭くはない」ことが段々と分かってきました。そういう構法を大切に行っている職人さんと出会うことが出来たのです。
単純に、前述の知り合いの大工さんは、木組みということについて、理解が浅かったのだと理解出来ました。

実際の仕事として、いつも木を組んだ家の設計をしているという事ではなく、いわゆる変な言い方で違和感を持ちますが「在来工法」の家の設計もしています。
両者を比較すると、木を組んだ構造の家の仕事は、設計でも監理でもかなりの大変さがあります。

その大きな違いは、構造体(家の骨)を見せるか隠すかという点だと思います。隠す部分が多いと「逃げ」や「余裕」があり、「後で考えよう」とする事が色々な部分で出来ます。
しかし、構造体を見せる木組みの家の場合は、そういう「逃げ」や「余裕」が少なく、計画段階からかなり綿密に
計算しつつ設計を進めていく必要があり、それが「大変さ」となるのですが、その「大変さ」を通り抜けた時の「醍醐味」「達成感」は、本当に素晴らしいのです。

だから、「木組みの家」はやめられないのです!
09年04月17日 20時10分34秒
Posted by: truthroad
家を建てたり、建て替えしようとする時、依頼先はどうすれば良いのか?と色々と考えると思います。雑誌を見たり、インターネットで検索したり、或いは実際にモデルハウスや展示会を見たりするのでしょう。

お金の話は別にして、「楽をして建てたい」とお考えなら、大手ハウスメーカーという事になるでしょう。どんな仕様なのか、雰囲気はどうかとか、モデルハウスで確認が出来て、安心感もあります。「選択」をしていけば、自然に家が建ってしまうという感じの流れです。
「建てる」というより「買う」に近いのかも知れません。

知らなかったり、気が付かなければ、それはそれで良いのですが、家を建てる為に支払うお金の中に、直接「家を建てる事に使うお金」の他に、自分達が仕様を確認する為に訪れたモデルハウスに掛かる維持費や、そのモデルハウスで対応してくれた、とても優しそうな、感じの良さそうな人のお給料、そして自分はもちろん、自分とは関係ない他のお客さんを探す為に必死で「営業」に頑張っている人達のお給料。更には、建設を決めてから完成するまで全く会うこともない、その会社を支える色々な人達のお給料。もちろん、モデルハウスを建てた費用も、立派な会社を運営する為の様々な経費も、その幾分かは負担する事になるのです。

それは「楽をする」代償、「安心する」代償と割り切れれば、それはそれで良いのです。
この手の会社では、一軒の家を建てる為に、色々な人間が「担当」という形で関わっていきます。その「引継ぎ」が上手く行かないと、大変な事になります。だから、それが間違いなく引き継ぎ出来るように、色々な方法を取る訳ですが、「引継ぎ」が多くなればなるほど、人のやる事、何かが「抜ける」とか「「ミスの発生」も確率的には増えてしまいます。

入り口は「営業マン」との接点です。その営業マンの誠意に感激して、契約。引き継いだ「工事担当」が同様のレベルなら「満足感」は維持しますが・・・・という、対人的にも「賭け」のような部分があることは否めません。
そして、我が家を建てる為に関わってくれた方々が、いつの間にか会社を去ってしまうという事は、かなりの確率で起こってきます。

そんな色々な「波」はありますが、「楽をして建てたい」という気持ちが勝り、少々のことは我慢出来たら、ほぼ予想通りの「マイホーム」が手に入るでしょう。
09年04月14日 16時52分19秒
Posted by: truthroad

「職人」という言葉は、〈古さ〉と〈新しさ〉の両面を持ち合わせているように感じます。

子ども達に就きたい職業を聞いた最近の調査でも、「職人」は結構上位にランクされているようです。その要因は別として、「職人」には《何かがある》と、子ども達も感じ取っている証拠だろうと思います。嬉しい限りです。
しかし、現実的に子ども達と「職人」との接点はどれほどあるのかと考えると、大きな疑問も感じざるを得ません。

そして、現実の「職人」を取り巻く環境も、かなり厳しいものがあると感じています。

その昔は、〈住み込み修行〉が当たり前ということで、技術の習得以上に、その修行の「厳しさ」の中で、人間形成が自然と為され、所謂「職人魂」というものを身に付けていったのかもしれません。

技術的な仕事をする人々を単純に「職人」と呼んで良いのか・・・私は前述の《何かがある》と感じさせる方々を「職人」と呼びたいと思いますし、自分自身もそう呼んで頂けるような人でありたいと思っています。
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