2009年 7月の記事一覧

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09年07月30日 10時14分26秒
Posted by: hemlock
マルは近所の雌犬です。

毎年この時期になると子種を授かるためか

放し飼いになります。

常識では考えられないことです。

いつものことなので最近では慣れましたけど・・・・。


毎年秋になると、うちの「そとぼうや」三匹のうちの

誰かが父親の仔犬が生まれるようです。

回覧板をまわしに行くとこの隣人はうれしそうに

言うのです。

「おたくの犬にそっくりなのが生まれたよ。」

この手の問題は責任ある男(飼い主)として

聞き捨てならないことです。

ただこの隣人は、マルに子を生ませるのが趣味の

様なのです。「認知しろ」だの「責任取れ」だの

とくに言う積もりないようです。(当然です。)


さて、マルはうちの「そとぼうや」なら誰でもいい、

という訳ではないようです。

ちゃろ、いくは、我こそは夫です!とばかりに

胸を張ります。実際どちらも交尾を目撃しました。

かわいそうなのは、とわです。


モテないのです。

それなのにマルに自分のえさを全部

分けてあげたりしています。お人よしです。

それなのに求愛しようと近づいたとたん、

豹変して噛み付かれたたりするのです。

かわいそうなとわ・・・・。何が気に入らないんだ!


これらの話、人間に置き換えても十分ありそうな話。

こういう男って身のまわりにいません?


09年07月30日 06時41分00秒
Posted by: hemlock
23歳のころだったでしょうか。

乃木坂の磯崎アトリエにアルバイトで

通っていたことがあります。

当時はロサンゼルス美術館のプレゼンテーション用の

模型を作っていて、そのトップライトの

デザインバリエーションの模型パートを手伝いました。

スタッフは夜も昼もなく一心不乱に仕事をします。


ある朝、徹夜明けのスタッフが倒れ、救急車で

運ばれていきました。「あいつはもうだめだな・・・・・。」

と、つぶやくように入所以来3年間模型作り専門の

M氏が冷たく言っていたのを良く覚えています。


そんなアトリエに、日が暮れた頃磯崎新さんは

華やかな宮脇愛子さんとともに現れ、

スタッフの机から机に渡り歩きます。

そんなとき、イエローペーパーのロールを後ろ手に

持っていて、スタッフを脇に立たせ

机に座ったかと思うとコロコロっとロールを拡げ

図面にチェックを入れていくのです。

「な、なんてかっこいいんだ!」

自分もいつかあのようになりたい・・・・・。


それ以来25年間、私はスケッチといえば

イエローペーパーです。そしてこれからもです。
09年07月25日 06時22分00秒
Posted by: hemlock
最近薪割がしんどくなってきました。

そのわけは・・・・・・・・・。


「目」を読むことさえ身につけば、多くの力を要せず

パカン、と気持ちよく割れます。

ところが、主幹から枝分かれのある玉は、

初心者にはなかなか難しいものです。

玉の上下、目を正しく読めないと何回重い斧を

振り下ろしても割れてくれません。

正しく読めればご覧のとおり、

パカン、と一回で割れます。

「おみごと!」自画自賛して奮起します。


さて、自分で薪を作るということは

多くの種類の樹についてその特色を知ります。

この辺で薪となる樹は、ミズナラ、コナラ、クヌギ、

白樺、ミズキ、柳、ハンノキ、コブシ、欅、アオハダ、

ニセアカシア、クルミなどが多いでしょうか。

概して、成長に時間がかかっている樹ほど

目がつんでいて堅く、割りやすい。

成長が早い樹は枝分かれも多く極めて割るのに

苦労します。なのに材はやわらかく

すぐに燃え尽きてしまうので不満です。

また樹によって匂いが全て違います。

ナラ、クリ、クヌギは良いとして、アカシア、クルミは

いただけません。


ところが、最近はナラ、クリ、クヌギの丸太が出ることは

まれになってしまいました。

成長の早いアカシアやクルミが多くなりました。

それどころか赤松、唐松しか手に入らないときも。


ここいらで意識の変革が必要です。

赤松、唐松など針葉樹主体にしないと

いけないのです。豊かな自然を取り戻す広葉樹を

育むことにもなりますから。


そんなわけで、なかなか割れない赤松、唐松。

しんどいながらも格闘しなくては・・・・・・・・・・。
09年07月24日 07時13分00秒
Posted by: hemlock
装飾は罪悪である、とまで言い切ったモダニズムは、

あくまで折衷主義的なことを、すなわち装飾が本来

持っていた機能から形態表現のみ取り上げて、

脈絡なく表層的に扱うことを、

また、ある権威や形式を表現するシンボルとして

扱うことを否定したのでした。


私は、モダニズムのいう「機能美」は一種の

装飾であると広義に解釈しています。

装飾は、それが施された建築が、その場においてのみ

意味を発するものでなければならないと思います。

空間の成り立ちの中で、機能的になくてはならない

不可分の要素、形態表現は正しい「装飾」です。


装飾は、求められる機能表現をほんの少し

誇張することで

「美しい」、「楽しい」、「新しい」という意味を

発するデザイン表現となると思っています。


誤解を恐れずに言います。

「装飾」を用いましょう!
09年07月17日 09時37分03秒
Posted by: hemlock
色とは、すなわち白色光の反射です。

赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の光に分解できます。

人はこの反射光の波長の長さで「色」として

感知します。


様々な色がこの世にはあります。

当たり前の話ですが、全ての色彩は自然界の中に

意味を持って存在しています。

人はその「意味」と切り離して、美的、心理的効果を

ねらって駆使する技術を持っています。

建築においてもモダニズムでは多くの試みが

なされてきました。

ただ、表面処理的なもの、余りに作為的なことは

やはり「色あせ」てきます。


さて、私が建築で使う色について考慮することは、

その素材の性質に則した色であるとともに

風土との調和、連続性です。

外壁の塗り壁はその場の土、石を表現すべきです。

板壁は周辺に自生する樹の幹の色に沿うべきです。

屋根は空や森の緑を映しますから無彩色です。


写真の家は一見、原則から外れて見えます。

全体に様々な白を組み合わせています。

南アルプスの巨大な山脈を抱くように建ちます。

この山脈は毎年10月20日ごろ冠雪し

5月の終わりまで真白き峰々なのです。

それと一体化するように「白」です。


そして梅雨明けの昨日、いかがですかこの景観。

「山は青きふるさと」とつい口ずさんでしまいます。

空と山塊と建築が一体となっています。


09年07月16日 11時23分52秒
Posted by: hemlock
八ヶ岳の梅雨も明けました。

依頼を受けて二週間以上も経つのに

毎日うっとうしい日が続き現場調査が

出来ませんでした。


私の場合、建て主の要望をしっかり胸に刻み込み

そのうえで敷地に再度赴き、土地が求める声も聞き、

建築の有り様をその場で出します。

ですからその土地が一番良い表情を

見せてくれる天候、時間に、製図板に敷地図を

張りつけて、最大級に緊張してのりこみます。


依頼のあった敷地は標高1400mの八ヶ岳西麓。

深い森の中です。

鹿、猪たちのけものみちが縦横無尽にはしり、

ほとんどの地面はスギゴケに覆われています。


こうした敷地は、とにかくスカッと良く晴れて

真っ青な空の日にいかなくていけません。

散々歩き回って、すっかり森の人となり

敷地の真ん中で製図の開始です。
09年07月09日 11時56分15秒
Posted by: hemlock
もうすぐ梅雨も明けようとするのに

今年は薪作りが一向に進んでいない。

確かに忙しい、というのもあるがそれはいつもの事。

仕事柄、着工前に支障木の伐採で

広葉樹をもらい受けるチャンスは

一般の人よりは多いはずなのに・・・・・。

最近は広葉樹を伐採することがきわめて少なくなった。

あっても建て主が使うのでもらえなくなった。

環境問題の意識が高まり薪ストーブの設置率は

高くなっているし・・・・・。

 そんなわけで、ことしは春にニセアカシアの丸太を

1トンばかり運んだきりだ。

「17年間薪はもちろん丸太も買ったことがない。」

それが自慢だったのに。

もうタイムリミット!

とうとう丸太を買う羽目になった。

薪屋の中嶋さんがトラック満載にして

もって来てくれた。

ミズナラ、白樺、ケヤキ・・・、どれも細いが

薪にするにはもったいない木ばかり。

どういう事情があって伐られてしまったんだろう?

そんなことを思いながら薪作り、

スパートです。
09年07月03日 07時58分00秒
Posted by: hemlock
もうずい分前になりますが

シカゴ郊外オークパークのF.L.ライトの

ホーム&スタジオを訪ねたことがあります。

食堂の窓の外に、ゆれる木々の葉のすき間からもれる

、まばゆく、ゆらめく光が室内空間を満たし、

光がまるで生命を持ったかのようにざわめくのを、

その心地よさにしばし動けなくなってしまったのを

忘れることが出来ません。


太陽の光は、建築家によって

単なる線でなく、分節されたり屈折されたり

拡散されたり、ゆらぐ動きを与えたりと

生命をふきこまれます。


そして、画一的で制御不能と思われている

時の流れを、不規則で豊かなものに

変えることが可能なのです。
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