180回目を迎えたのを機に廃刊を決意した。10年近く建築士ブログさんを通じてお世話になり厚く御礼申し上げます。
マサチューセッツ工科大学の一隅に記念すべき二つの建物が対話しているように建っている。
小生が最も尊敬する建築家イーロ・サーリネンの建築作品『講堂』とシリンダー型『チャペル』です。
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日帰りバスツアー『金毘羅さんと・うどん打ち体験』
ありがとうございました・・・。
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茨木市は平成30年1月1日、市制を施工して70年の節目にあたり、
『茨木市の七0年』と題した300余ページに及ぶ写真集が今夏「樹林舎」より刊行された。
特に
目次にある 第1章 拡大する中心市街 第2章 田園の変貌 第3章 川と池と山と
第4章 戦争と水害を越えて 第5章 出来事の記憶 第6章 鉄路・道路・産業
第7章 社寺と祭り 第8章 子供の領分 第9章 思い出の学び舎 など茨木市の
主に昭和・平成時代の写真をテーマごとに分類、充実した内容に感動しています。
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を遅まきながら「田中那華男建築デザイン事務所」に改名した。
その訳は、集合住宅・保育所・遊技場等々の特殊建築物の設計監理を引き受け作品
の竣工・引渡しを繰り返すなかで、意匠図以外の構造図・設備図は外注に頼り、
デザインに生きがいを求めていたからである。
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いつものように自宅前歩道の掃除を終え、入口横に止めてある乗用車の側部フロントボディを雑巾掛けしていた時、轟音と共に電柱・電線が激しく上下左右ににゆれ、車道を走る車が緊急停車した・・・・一瞬だった。
建物の被害状況は、1階オフィスの打ち合わせ用デスクに置いていた陶器製の花入れが床に落ち破損、パソコン用デスクに置いていたモニター画面の転倒落下、2階洗面所に置いていた日用品・洗剤等の落下、3階の個室にあったピアノ・タンス等の置き家具の散乱等々だった。
特に
利用区域の水道・電気・都市ガスのインフラは、当日に復旧出来たので大変助かりました。そして一段落してからは多くの方々から心配・励ましのお言葉を賜り、ありがとうございました。
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新たに西側に続く緩やかな傾斜地を利用し、エキサイティングな遊具施設が追加され、今年3月下旬、リニューアルオープンしたためである。
より多くの子供たちが楽しみながら体力も増強出来るような遊び機能を取り入れた、コンビネーション遊具の中で、まず目に入るのが空を飛ぶ大きなトンボとチュウブスライダーのテッペンにとまるテントウ虫のユニークな模型が眼に入り、近づいてよく見るとその他にクライムボードの上に大きな巣をつくったミツバチ達が飛び交うシーン、ロングスライダーの壁には大きなハサミを広げるクワガタムシの姿が描かれたり・・・ユニークで子供心をくすぐる演出も加わり、、大変楽しい空間となっている。
特に
夕方遅くまで児童たちが楽しく声を張り上げ、はしゃぐ姿を散歩途中で見かけると何故か、やすらぐ気分になるスポットでありがたい。
]]>6700平方メートルの日本最大級のの植物館は、世界の珍しい植物がいっぱいで、8つの展示室では、花・緑と水と音楽に包まれ、季節やテーマごとに繰り広げられるフラワーショーや、花と緑のある暮らしの中のガーデニング等々の各種教室にも人気があるそうです。
特に
ガラス張りの壁と屋根で構成された大きな温室空間を完成度高く維持管理されている関係者の皆様に頭が下がる思いで、カフェコーナーの椅子に座り込み感動していると、あっという間に予定時間が過ぎ、慌ててバスにに乗り込みました。
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1883年、35歳のゴーギャンは、12年間務めたパリの株式仲買商ベルタン商会を辞め、日曜画家としての生活に終止符を打ち、専門画家の道を歩み出す。
特に
安定した収入の道を閉ざし、妻子もいたゴーギャンのこの転身は、小生が設計事務所を立ち上げた年齢・家族構成・生活環境・等々が少しだけ重なり、彼にとっては勇気ある運と実力を世に問う、怖いもの知らずで自信に満ちた、ギリギリのタイミングであったような気がする。
]]>住所録に記載されている方々を消してゆくのは、深い思い出も多く大変辛い作業となりますが、加齢の為これからも許される限り続けて行きたいと思う。
特に
2001年から始まったアトリエ事務所の主な建築作品のシリーズとして毎年2~3作品を掲載してきましたが、今回で幕を閉じ、新たに違ったスタイルで続けてけていければいいな・・・とおもっています。
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